最近ちびぃーの事ばかりになっていましたが、
常連さんはご存知の通り、
UPS-TAKUで共に頑張ってきたオスの黒ネコ「ヤマ」が今朝逝きました。
よくよく考えたらヤマはまだ7歳くらいで本当に短い一生でした。

むか〜し(十数年前かな...)
とてもかわいい黒の迷いネコ(子ネコ)確保した時、
実家の事情で飼う事が許されず、見捨てた経験があります。
その時の子ネコの顔が忘れられず、
またネコを飼う機会があれば黒ネコに出会いたいなぁ...
などと思っていたある日の事...

UPS−TAKUを創業して数年目
今の工場を建てるくらいの時だったかなぁ..
近くのファミレスで家族と食事をして出てきたら、
植木の中から子ネコの鳴き声がします。
あれれ!?
そこには手の平サイズの黒ネコがいるではありませんか。
しかし呼んでも出てきません。
私と妻とで植木の周りをうろうろしてやっと捕まえたのがヤマでした。
きっとレストランの中で食事をしている人達には、
我々の行動が滑稽に見えたことでしょう。

黒ネコに出会いたいなぁ..と思っていて黒ネコですから飼う気満々です。
しかし当時住んでいた公団団地では許されませんので、
TAKUで面倒を見る事にしたわけです。
名前はヤマと言われておりますが、本来はヤマトです。
そうクロネコヤマトのヤマトです。
んで略してヤマというわけです。

その後UPS-TAKUは中古パーツ店からカスタムショップへ
営業方針を転換する中、経営者としての心身の疲労も重なり、
迷う事も多くなりました。
そんな時にいつもそばにいて励ましてくれたのがヤマです。

しかし、TAKUの周辺には強敵がとっても多く、
ヤマも度重なる負傷、そして気が付けばウイルスが侵入していました。
当時の私はまだネコの飼育に対する知識が甘く、
今なら当たり前のワクチン接種を怠ったままでした。
最初は風邪の様な症状が出たので、
病院に連れて行って治療してもらったのですが、
時すでに遅し...
また治療を続けたくとも当時は大型機械の導入等で
高額な治療費を毎週払い続ける余力も無く、
ヤマの命を最優先に考えてあげられませんでした。

それでも数々の苦難を乗り越え一週間前までは元気にしていたのに..
いつの間にかグルーミングをしなくなり
3日ほど前から急に食欲が無くなりました。
そして昨日の朝出勤してみると、畑の上にいたヤマは自力で歩く事すらできません。
きっとホッカイロを仕込んだ寝床からオシッコのために出たものの、
戻る気力が無くなってしまったのでしょう。

それを見た私はすべてを悟りました。
今延命処置をしてもいたずらにヤマを苦しめるだけです。
ヤマにオムツをして様子をみながら仕事を終わらせ、
ヤマが旅立つまで徹夜で付き添う事にしました。

ところが23時前後に突然ヤマの身体を洗ってあげなくてはと思い立ち、
すっとんで帰りました。
自宅にはちびぃーがいますので、ヤマの病気が感染しないよう隔離します。
車に乗ることも、身体を洗われる事もきらいなネコでしたが、
お風呂場ではエアー枕に頭を乗せおとなしく身体を洗わせます。

水も飲ませ一通り身体を乾かした後に寝床を作り、
私の部屋で一緒に寝る事にしましたが、
時よりどこかが痛むのか苦しそうな声を発します。
とうとう見ていられなくなり、私のベットの上にお漏らし防止のマットを敷き、
そのままヤマの頭や手をなでながら一晩を過ごしました。

子供達が学校に出かけた後のヤマはベットの上から床の寝床へ移されて、
目を開けたまま弱々しく呼吸しています。
出勤までまだ時間がありましたのでギターを弾く事にしました。
TAKUでは営業終了後によくギターの練習をするのですが、
ヤマは嫌がらずにそばにいたのを思い出したからです。

ベットに腰掛30分くらい弾いたところで異変が起こりました。
譜面台の横からふっと立ち上がったヤマが歩くのがはっきりと見えた(感じた)のです。
慌ててヤマの寝床を見た丁度その時、
横になっているヤマの足がすっと伸びて、細い声でにぁーと鳴きました。
瞳孔が大きく開き呼吸が停止しています。

いや〜泣きました。
こんなに至らない飼い主なのになんて素敵な別れをプレゼントしてくれたのでしょう。

ヤマよ〜
至らない飼い主はまだまだこれからも頑張らなくちゃなりません。
でもヤマの魂に別の世界で再会する事があったら今度はもっと一杯遊んでやるからなぁ...



心優しきヤマ ありがとう!!